ブログをやって気づいたこと。
トピック「初投稿」について
年初めだというのに、ブログを書く指は重い。
「てやんでい!!」というのに疲れた。
良くも悪くもブログを始めていろいろ気づいたことがある。
自分の書いた記事がググると出てくる。
当たり前なようで当たり前ではない。
とても昔の話だが、モバゲーというサイトがあった。そこで日記をズラズラと書いたのを覚えている。
読者といえば、友達の人だけだ。当然、友達に向けて書く。それでよかった。
mixiもFacebookも基本的には内輪の世界だ。Twitterは開いてはいるが読まれることなどほとんどない。
ブログも基本は同じだ。膨大なネットの情報の一部に過ぎない。滅多に読まれることのない情報が連なっている。
しかし、ブログはあるワードで検索すればgoogleから引っ張り出すことができる。
勝手な印象として、ググって出てきた情報は何となくちゃんとしている気がする。
ダメな情報は淘汰されるのかもしれないが、誰もが一瞬オピニオンリーダーになれる世界があるのだ。
「誰かに伝えたい」だからブログを始めたのだろう。
ただ、googleというシステムの一翼を簡単に担えるというのは居心地が悪いのである。
そこにあるのは、小さな責任感だ。
「はてなブログ」という村社会
ブログサービスの中でも、はてなブログはよく広がる方ではないだろうか?
ブログを始めたばかりでも、どうしようもない記事でも、はてなブックマークを稼げば、日本のインターネット世界に1日ぐらいは君臨することになる。
とてもいいサービスなのである。当然、私もそのシステムを利用したいと思った。
とはいえ、炎上してほしいわけでもないし、何となく記事を書いていく。
そして、はてなブログのサービスを利用していく。
「読者になる」「読者の記事を読む」「はてブをつける」「スターをつける」「またそれを返す」・・・・・・
あぁ、なんということだろう、俗世間の習慣に陥ってしまう。
年賀状がきた、とりあえず返しておく。
酒の席で話すことがない。とりあえず、恋愛話や会社の話をする。
特に興味のないブログに訪れて、とりあえずスターをつけていく。
無論、なるべく同じ考えをもつ人と交流をもつようにしている。
はてなブログにはおもしろい人が多いし、刺激を受けることもある。
それ以上に、いわゆるブログでお金儲けをしようとする人たちが多いのに参ってしまった。
そうしたブログを多分に含むはてなの記事を読むことが義務化していくのは私には厳しかった。
続けることは大変である
続けることは大変だ。
「このブログいいな〜」という人もいつの間にかいなくなっている。
このブログでは世の中の野暮なことに「てやんでい!!」という趣旨でやっている。
しかし、20個も書いたら正直ネタがなくなってしまった。
いや、ネタは無限にあるし、いくらでもこき下ろしたいことはある。
でも、そうした記事を書くことに意味を見出せなくなった。
衝動で書けないということは、私には書く意味がないのである。
いま、こうして何となく指を動かして書いている状態を大切にしたい。
ブログとは常に自由である
たった3週間弱間が空いただけで、こうしてブログを書くのに「再び」という気持ちが湧いてくる。
ブログを書くことは、誰にも強制されていないし、常に自由なのだ。
はてな村も
続けることも
読んでくれる人を増やすためのちょっとしたマナーだ。
やるもやらないも個人の勝手である。
自分でつくった些細な障壁を気にせず、
書きたいときに書きたいことを書こうと思った年始でございます。
自由だ!!!!