洋服を捨てよ、着物を纏え。
てやんでい!!
「パンツがキツイ」
最近、パンツのウエストがきつい。
洋服っていうのはどうもキツ目に作りたがる。
採寸を合わせて、ピッタリで着るのがカッコいいのはわかるが嫌いだ。
少し太れば苦しくなり、さらに太れば着られなくなる。
「ウエスト出せばいいじゃないか??」
そう言われると、ますます腹立たしい。
「痩せればいいんだろ?痩せれば!」
ウエストを直すのは何かイヤなのだ。
直したら痩せないということだし、直さなきゃ着られない。
洋服ごときのために痩せるのは癪だし、直すだけでお金を取られるのも嫌である。
しかし、洋服を買うときは見栄を張ってちょうどをもらう。
お分かりいただけただろうか、この面倒くささ。
私が面倒なのか、白人文化との折り合いがつかない面倒くささなのか。
「パンツがキツイ」
ただのこの出来事の中に、食欲、モテたい欲、着飾りたい欲、そして、金銭欲
とあらゆる欲望が渦巻いているのだ。
イヤだ、イヤだ。
新橋にいるお腹をでっぷり飛び出たじじぃども。
ぱっつんぱっつん、シワだらけ、ネクタイはダラダラ、
靴は毎日履いてるような薄汚いボロボロ・・・
あいつらが着てるのは、スーツではない。白人の仮装である。
老人がハロウィンの仮装に感じる増悪をそっくりそのまま送りたい。
すべてを解決する方法。
「着物を着よう」
ただそれだけである。
パンツのウエストという些細な問題は着物には無関係だ。
帯でしめれば関係ない。着物は一生着られることになる。
腹が出れば出たでいい。むしろ、出たほうが様になる。
新橋のじじぃも少しは見れたものになるはずだ。
現代において「着物を着る」とい行為はなかなか大変である。
アスファルトに下駄は無理だ。どうしても膝を痛める。せいぜい雪駄だろう。
階段の登り降りは一苦労だ。裾を踏むと転倒してしまう。エスカレーターも引き込まれやすい。
この「わたし」を取り囲む環境が着物を着ることを許さない。
それでも無理して着るのが男だろう。
「着物男子」が増えているらしい。大いに結構なことだ。
着物を着る人が増えれば、環境も変わるかもしれない。
はちべい、
名前のくせに、着物をもっていない…
とほほ。
じゃあな!!